古い建物の窓ガラスにはなぜこんなに表情があるのだろう。微妙にゆがんでいたり、複雑な模様が彫られていたり、そこには人の手のぬくもりのようなものが宿っている。
たとえば以下は、札幌にある旧永山武四郎邸新館の窓ガラス。きれいなカットがほどこされているが、それが反射する光に鋭利さはなく、薄いベールをまとったようなやさしさがある。
近寄って見るとこんな感じ。このガラスがあるだけで、なんか泣きたくなるような懐かしい光景に。
続いて、昭和7年創業、京都にある「スマート珈琲店」のガラス。いつまでも変わらない老舗喫茶店のぬくもりを担う名わき役。
こちらは江戸東京たてもの園にある「高橋是清邸」のガラス。微妙にゆがみ、うるんだガラスは、透き通った湖の水面のようにみずみずしくてうつくしい。
いかにも手づくりの、微妙にゆがんでいたり、表情豊かな模様つきのガラスは、自分が家を建てるときに憧れるパーツのひとつだが、現代ではどうしたら手に入るのだろうか? 古い建築や不動産のリノベーション・再生の企画提案を行っているug(ユーグ)の建築デザイナー、佐々木祥太さんに、現代窓ガラス事情について話をうかがった。
「今でも模様つきのガラスなどは手に入りますよ。でも、大体輸入もので高い。通常の透明板ガラスの3倍から10倍以上のものもあります。それでも機械で型を押しているものが多いのでやはり手作りのラフさが味わえません。悪く言うとうそっぽいんです」
ということは、昔の建築にあるような、ゆがんだ手延べガラスや職人による模様を施したガラスは通常の流通では手に入らない?
「日本で建築用の手作りガラスを作っていてなおかつ流通に乗っているものは まず無いでしょうね。あったとしても相当高いと思います。昔のガラスは透明に見えてもちょっとだけゆがんでいたり、非常に面白い表情を していますが、それは歪んでいないガラスを作るほうが難しかったから。人件費が安かったので、模様つきガラス(型板ガラス)も手作りで作っていました。技術が発達し、透明でゆがみのないガラスをローコストで生産できるようになると、みんながこぞって使い出し、手づくりのものは消えていきました。その流れはしょうがないことだと僕は思っています。ただただノスタルジーに浸るばかりです。」
ugが内装を手がけたカフェ「cibot」。
古い建物のゆがんだ窓ガラスや型板ガラスは、実は一度手放したらもう二度と手に入らない貴重品だった。そんな自覚もなく、ばんばん壊してリフォームしている友達の家や親戚のケースを思い出すと、過ぎ去ったこととはいえ、非常にもったいない……。
「ですから、古い建築を壊すときには、まだ使えると思うものは手を入れて使ってください、と言いたいです。僕の実家は割と古くて、構造は築150年くらい経っています。家族は新築したいといっていますが、僕の目の黒いうちはそんなもったいないことことさせません(笑)。僕はもともと古いものが好きで、大学のころにリノベーションの研究をしていたんですが、教授から若いのに改修から入るなんて変なやつだといわれていました。古い家で育ち、物はなるべく捨てずに転用する環境で育ったのでそれが自然な流れだったんでしょうね」
ということで、いつか建てる家に、どこかから手伸べガラスを仕入れる、という環境はいまは整っていないということがわかった。この美しいゆがんだガラスたちは、そのうち日本の風景から消えていってしまうのだろう。……寂しい。
札幌「清華亭」の窓ガラスもうるうる。
もし自分のうちに古くて風合いのある窓ガラスがあったら、ものすごくラッキーだと思って、いつまでも大事に使って欲しい。そして、壊すときは、どこかそれを欲しがってそうな場所(アンティークの家具屋さんや、各種の古民家再生ネットワークなど)にコンタクトするともしかしたらすごく喜ばれるかもしれない。
・ug ユーグ建築デザイン事務所
<関連記事>
・住宅展示場としての江戸東京たてもの園