乙女チップス
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太宰治の名言と一緒に青森の斜陽館へ

今年は生誕100年の太宰治。梅佳代がジャケ写を手がけた角川文庫の新装版が発売になったり、走れメロンパン、生れて墨ませんべいなんていうおもしろ商品がリリースされたり、名作が立て続けに映画化されたりと話題がつきない。

さて、今回はそんな話題の主の名言/名文句を引用しながら、青森の金木にある太宰の生家を旅してみたい。

私の家系には、ひとりの思想家もいない。ひとりの学者もいない。ひとりの芸術家もいない。役人、将軍さえいない。実に凡俗の、ただの田舎の大地主というだけのものであった。父は代議士にいちど、それから貴族院にも出たが、べつだん中央の政界に於いて活躍したという話も聞かない。この父は、ひどく大きい家を建てた。風情も何も無い、ただ大きいのである。間数が三十ちかくもあるであろう。それも十畳二十畳という部屋が多い。おそろしく頑丈なつくりの家ではあるが、しかし、何の趣きも無い。ーー『苦悩の年鑑』(青空文庫)

一度は旅館になったほどであり、ネットの一部で昨年IKUZOとして話題になった吉幾三さんが披露宴を挙げたというだけあって、太宰の生家は、確かにとても大きい。

ただ、趣きが全くないかというとそんなことはなく、たとえば上の写真は、旅館時代に指定するお客様が多かったという「斜陽の間」。襖に書かれている漢詩の中に「斜陽」の文字があることから、特にファンの間では有名な部屋だ。欄間の模様がすごくかわいい!

また、注目すべきは北海道のタモ材や、青森のヒバなど、今では大変貴重な木がふんだんに使われている点。どれも永遠に輝いていそうなほどぴかぴかで美しい。

長兄は、それでも、いつも暗い気持のようでした。長兄の望みは、そんなところに無かったのです。長兄の書棚には、ワイルド全集、イプセン全集、それから日本の戯曲家の著書が、いっぱい、つまって在りました。長兄自身も、戯曲を書いて、ときどき弟妹たちを一室に呼び集め、読んで聞かせてくれることがあって、そんな時の長兄の顔は、しんから嬉しそうに見えました。ーー『兄たち』(青空文庫)

長兄が三十歳のとき、私たち一家で、「青んぼ」という可笑しな名前の同人雑誌を発行したことがあります。そのころ美術学校の塑像科に在籍中だった三男が、それを編輯いたしました。「青んぼ」という名前も、三男がひとりで考案して得意らしく、表紙も、その三男が画いたのですけれども、シュウル式の出鱈目のもので、銀粉をやたらに使用した、わからない絵でありました。長兄は、創刊号に随筆を発表しました。ーー『兄たち』(青空文庫)

ひるすぎ、私は傘さして、雨の庭をひとりで眺めて歩いた。一木一草も変つてゐない感じであつた。かうして、古い家をそのまま保持してゐる兄の努力も並たいていではなからうと察した。池のほとりに立つてゐたら、チヤボリと小さい音がした。見ると、蛙が飛び込んだのである。つまらない、あさはかな音である。とたんに私は、あの、芭蕉翁の古池の句を理解できた。ーー『津軽』(青空文庫)

余韻も何も無い。ただの、チヤボリだ。謂はば世の中のほんの片隅の、実にまづしい音なのだ。貧弱な音なのだ。芭蕉はそれを聞き、わが身につまされるものがあつたのだ。古池や蛙飛び込む水の音。さう思つてこの句を見直すと、わるくない。いい句だ。ーー『津軽』(青空文庫)

その家系には、複雑な暗いところは一つも無かった。財産争いなどという事は無かった。要するに誰も、醜態を演じなかった。津軽地方で最も上品な家の一つに数えられていたようである。この家系で、人からうしろ指を差されるような愚行を演じたのは私ひとりであった。ーー『苦悩の年鑑』(青空文庫)

この豪華すぎる家を訪れてみると、けちのつけようのない名家に生まれた彼が得体の知れない負い目や劣等感を抱くようになった気持ちがなんとなくわかる。うんざりするほど部屋があっても、太宰治の個室というものはなかったからだ。彼は土間や台所、母の部屋や「斜陽の間」など、いろんな部屋を点々とし、いつも居場所を探していたのではないか、と思う。

金持は皆わるい。貴族は皆わるい。金の無い一賤民だけが正しい。私は武装蜂起に賛成した。ギロチンの無い革命は意味が無い。しかし、私は賤民でなかった。ギロチンにかかる役のほうであった。私は十九歳の、高等学校の生徒であった。クラスでは私ひとり、目立って華美な服装をしていた。いよいよこれは死ぬより他は無いと思った。ーー『苦悩の年鑑』(青空文庫)

さて、そんな彼のお気に入りの居場所のひとつでもあった米蔵で、太宰治の初版本が展示されていたのでご紹介したい。

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印刷の精度が低かった時代のかすれた文字やざらりとした紙質が、かえって東欧雑貨のような味わいを醸し出していて今見るとすごくかわいかったり。

初版といえば、今年は生誕100年を記念して、「津軽」初版デザインのクッキーもあちらこちらのお土産物やさんで売っていた。かわいすぎるので、切手などの雑貨をしまう箱にすることに決めました。

さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行かう。絶望するな。では、失敬。ーー『津軽』(青空文庫)


洋間にあった時計。フォントがかわいい。

斜陽館
太宰治生誕100年記念ホームページ

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